大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 平成2年(ワ)29号 判決

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し、金九二一六万四九〇二円及びこれに対する昭和六四年一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲野一郎のその余の請求を棄却する。

三  原告甲野太郎及び原告甲野花子の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

六  ただし、被告が金四〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

理由

第一  請求

被告は、原告甲野一郎に対し、金一億二九七〇万四六一五円、原告甲野太郎及び同甲野花子に対し、各金一一〇〇万円並びにこれらに対する昭和六四年一月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が開設する病院で出生し、引き続き治療を受けた新生児が、核黄疸に罹患し脳性麻痺の後遺障害を被つたことについて、本人及びその父母が債務不履行による損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠により明らかに認められる事実

1  当事者

(一) 被告は、唐津赤十字病院(以下「被告病院」という。)を開設、維持、管理する者である。

(二) 原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、昭和五七年二月二二日午後六時二八分、被告病院において出生した。

(三) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は原告一郎の父、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は原告一郎の母である。

2  原告一郎の診療経過

(一) 昭和五七年二月二四日(二生日。出生の翌日を一生日とする。)

原告一郎(妊娠三九週で出生。出生時の体重は三〇一八グラム。)は、出生後そのまま被告病院産婦人科の新生児室で哺育されていたところ、強い黄疸を発症し、血液検査の結果、血清総ビリルビン値(以下「総ビ値」という。)が一九・五(単位はミリグラム/デシリットル。以下、ビリルビン値は単に数値のみを挙げる。)と高い数値を示したため、午後三時ころ、同病院の小児科に転科、入院する措置がとられた。

小児科で再度検査が行われた結果、総ビ値は一九・三で、そのうち直接ビリルビン値(以下、「直接ビ値」という。)は一・五、間接ビリルビン値(総ビ値から直接ビ値を引いたもの。以下、「間接ビ値」という。)は、一七・八であり、黄疸の程度を測る検査方法のひとつであるミノルタ黄疸計(以下、「ミノルタ」という。)の値は、胸部一八、顔面二七、背部二四であつた。

小児科では、脱水予防のための点滴が行われた後、午後三時四〇分から二四時間の予定で光線療法による治療が実施された。

また、右のようなビリルビン値の高い状態の原因を調べるために、直接クームス、間接クームス、網状赤血球、血液型等の検査及び白血球数、CRP(C反応性たんぱく。感染症があると、これが増えるので、感染症の早期診断に役立つ。)値の検査が行われた。

(二) 同月二五日(三生日)

総ビ値は二三・五(直接ビ値五・八七、間接ビ値一七・六三)と上昇した。ミノルタの値は前胸部一八、顎下二三、背部二四であつた。

原告一郎の担当医である石井栄一医師が、この日の朝に初めて原告一郎を診察した。

石井医師は、前日に実施された検査の結果から、原告一郎の高ビリルビン血症の原因として、血液型不適合(ABO不適合及びRH不適合)の可能性を否定し、CRP値がプラス六の強陽性で、白血球数が一二六〇〇であつたこと、原告一郎が前期破水で出生したこと及び直接ビ値が特に高いことから、感染に伴うものではないかとの疑いをもつた。

前日からの光線療法による治療にもかかわらず総ビ値、特に直接ビ値が上昇していることから、午後〇時五〇分に光線療法を中断し、感染の有無を調べるため、血液その他の培養検査、髄液検査及び胸部レントゲン写真の撮影が実施された。

また、抗生剤であるABPC(ビクシリン)とGM(ゲンタシン)が静脈注射により投与され、午後二時五〇分に二四時間の予定で光線療法による治療が再開された。

(三) 同月二六日(四生日)

総ビ値は一五・九、直接ビ値は一・二となつた。白血球数は一四一〇〇、CRP値は(+)であり、前日に実施された培養検査及び髄液検査の結果は異常なしであつた。

午後二時五〇分に光線療法が終了した。

(四) 同月二七日(五生日)

総ビ値は一五・八(この日以後、直接ビ値は測定されていない。)、ミノルタの値は二五であつた。また、黄疸の程度を測る検査方法のひとつであるイクテロメーターの値は三・五であつた。

(五) 同月二八日(六生日)

総ビ値は一六・四、ミノルタの値は二四、イクテロメーターの値は三・五であつた。

また、白血球数は一〇八〇〇で、CRP値は陰性となり、石井医師は、原告一郎の黄疸の原因が除去されたと判断し、抗生剤の投与及び点滴を中止した。

(六) 三月一日(七生日)

総ビ値は一七・一、ミノルタの値は二四、イクテロメーターの値は三・五であつた。

(七) 三月二日(八生日)

ビリルビン値は測定されず、イクテロメーターの値は三・五であつた。

この日に、石井医師は、同月四日に原告一郎が退院することを許可した。

(八) 三月三日(九生日)

ビリルビン値は測定されず、イクテロメーターの値は三であつた。

石井医師は、この日、研究のため九州大学に出張しており、原告一郎を診察していない。

(九) 三月四日(一〇生日)

ビリルビン値は測定されず、原告一郎は、昼ころ、被告病院を退院した。石井医師は、退院時に、原告一郎の外来受診の予定日として一週間後の三月一一日を指定した。

(一〇) 三月七日(一三生日)

原告一郎は、早朝から元気がなく、母乳を飲まなくなり、黒目が下がるなどの異常を呈した。

石井医師は、原告一郎の容態変化の連絡を受け、昼ころ、被告病院で原告一郎を診察したところ、皮膚の黄染が強く、ビリルビン値の測定を行つた結果、総ビ値は四三・八、直接ビ値は一二・二という極めて高い数値であつた。

そこで、石井医師は、原告一郎に対し交換輸血をする必要があると判断したが、被告病院では交換輸血ができないため、九州大学医学部附属病院(以下、「九大病院」という。)に連絡を取り、同病院の小栗医師のアドバイスにより、午後二時一五分ころ、原告一郎を被告病院に入院させた上、髄液検査等を実施したところ、そのビリルビン値は〇・三三ミリグラム/デシリットルであつた。

その後、石井医師は、同日午後三時ころ、原告一郎を救急車に乗せて被告病院を出て、午後四時一〇分ころ、同人を九大病院に入院させた。

九大病院では、同日午後九時五分から翌八日午前二時三〇分までの間、一回目の交換輸血が行われ、八日午後二時三七分から同五時四二分までの間、二回目の交換輸血が行われた。一回目の交換輸血開始時点の検査データは、GOT七七、GPT二四、総ビ値六五・二、直接ビ値六・八であつた。

九大病院での検査の結果、血液型不適合、溶血、感染等がなく、原告一郎の病名は特発性高ビリルビン血症による核黄疸と診断された。

(一一) その後の経過

原告一郎は、昭和五七年四月一三日に九大病院を退院し、その後、昭和五八年二月ないし三月ころまで、月一回の割合で同病院へ通院して診察を受けた。その後、平成五年一一月までは一週間に一回の割合で、同月以後は二週間に一回の割合で被告病院へ通院し、平成六年五月二五日からは、被告病院の医師及び看護婦が原告らの自宅を訪問して原告一郎を診察している。

3  原告一郎の後遺障害

前記交換輸血の実施にもかかわらず、原告一郎は、核黄疸の後遺症である脳性麻痺が生じた。

現在、痙直性四肢麻痺により自動運動は不可能であり、物をつかむこと、握ること、タオルを絞ること、箸ないし匙で食事をすること、顔を洗うこと、排便の処置をすること、衣服を着脱すること、座ること、立つこと、歩くことなどができず、寝たきりで全面介助を要する状態である。昭和五七年の罹患以来、同人の食事、入浴、排便等生活のすべてにわたつて原告花子、同太郎及びその家族が介護している。

4  新生児高ビリルビン血症及び核黄疸について

(一) 血中にビリルビンが増えると、黄疸という形で症状が現れる。

直接ビリルビンと間接ビリルビンの合計が総ビリルビンであり、割合的には直接ビリルビンは少なく、通常は総ビリルビンの一割以内である。間接ビリルビンは、主として血液中の赤血球に由来するものであり、直接ビリルビンは、肝臓で間接ビリルビンから合成されて胆汁中に排泄されるものである。

一般に、成熟新生児において、総ビ値が一五を越えると新生児高ビリルビン血症と呼ばれ、病的黄疸として対処されている。

(二) 血中のビリルビンの割合すなわち血清ビリルビン値の高い状態が続くと、ビリルビンが脳に沈着して核黄疸を生じるおそれがある。

核黄疸とは、たんぱく質と結合していない遊離型のビリルビン(間接ビリルビンの類似物質)が血液脳関門を通過して、脳の基底核に沈着するものである。核黄疸に罹患した場合には、脳性麻痺の障害が残り、不可逆的な運動機能の変化が起こり、重症の場合には知能の障害も伴う。

核黄疸に罹患しやすい条件としては、出生体重が軽い場合、ビリルビン値、特に間接ビ値が高い場合、呼吸障害、低たんぱく血症、頭蓋内出血、重症感染などの合併症がある場合、血液型不適合がある場合が考えられる。新生児において、原因不明の高ビリルビン血症もあり、特発性ビリルビン血症と呼ばれる。

(三) 核黄疸に関する代表的な見解であるプラハの分類による核黄疸の各期の症状は以下のとおりである。

第一期 筋緊張の低下、嗜眠、吸啜反射の減弱

第二期 痙性症状、後弓反張、発熱

第三期 痙性症状の消褪期

第四期 後遺症として錐体外路症状の出現する時期

なお、第二期における特異な症状として落陽現象(黒目が下眼瞼の方に沈むように動く現象)が一般に挙げられている。

右のうち、第一期の症状は、いずれも非特異的な所見であり、その症状の有無の判断は困難とされ、しかも、第二期に至ると、交換輸血を実施しても、後遺症として脳性麻痺といつた重大な結果を生じる危険性が大きいといわれている。

したがつて、新生児高ビリルビン血症は、その原因を問わず、不可逆的な脳障害という重篤な結果を生じるおそれのある核黄疸に発展する可能性があり、早期診断、早期治療が重視される。

(四) 新生児高ビリルビン血症の治療法のうち、特に間接ビリルビンを低下させる場合、主として光線療法ないし交換輸血が行われる。

光線療法は、紫外線を用いて患者の皮膚に直接光を当てる方法であり、紫外線によつてビリルビンを直接分解するという効果がある。交換輸血は、体内の血液を交換用の血液と入れ換える方法である。交換輸血の適応基準は、成熟児においては、総ビ値で二〇以上という意見もあるが、当時、もつともよく使われていた基準は志村・馬場の交換輸血の適応基準であり、それは総ビ値二五以上である。

二  争点

1  診療契約上の債務不履行の存否

前記一で認定したところによれば、原告太郎及び同花子は、原告一郎の出生時又は遅くとも同原告が小児科に転科、入院した時までに、同原告の法定代理人として、被告との間で診療契約を締結したものと解されるところ、本件における中心的争点は、原告一郎が核黄疸に罹患し、前記のような後遺障害を残したことについて、被告の責めに帰すべき事由による債務不履行があつたか否かであり、その具体的内容に関する当事者双方の主張は次のとおりである。

(一) ビリルビン値の低下を確認しないまま原告一郎の退院を許可したこと。

(1) 原告らの主張

原告一郎は、光線療法等が行われた後も、ビリルビン値が病的黄疸を示す状態が続いていたから、被告病院としては、原告一郎のビリルビン値の低下を確認した上で同人の退院を許可すべきであつたのに、担当医は、三月二日以降ビリルビン値の測定を行わず、ビリルビン値の低下を確認しないまま原告一郎を退院させた。

(2) 被告の主張

退院時の原告一郎のように、心配される症状もなく、活気のある成熟児であれば、更に入院を継続しても二、三日に一回のビリルビン値測定しかするべき処置がなく、敢えて入院を継続しなければならない必要性は薄い。また、ミノルタ又はイクテロメーターによる検査は三月二日以降も行つており、その数値がそれほど高くなかつたため、ビリルビン値を測定するまでもなかつた。後の結果を考慮すると、退院に先立ち、ビリルビン値を測定してその低下を確認した方が良かつたが、それは結果論にすぎない。

したがつて、被告病院が、原告一郎のビリルビン値の低下を確認せずに退院させたことは、特段、不適切な措置であつたとはいえない。

(二) 退院時の指示内容の不適切

(1) 原告らの主張

被告病院は、三月二日以降原告一郎のビリルビン値の低下を確認していなかつたのであるから、原告一郎を退院させる際には、ビリルビン値の測定をするため、一日一回又は二、三日に一回の外来通院を指示すべきであつた。ところが、担当医の石井医師は、原告太郎及び原告花子に対して、原告一郎が手足をかたくしたりミルクを飲まなくなつたらすぐ連れてくるよう述べて、退院日から一週間後の三月一一日の外来受診を指示しただけであり、退院時の指示としては極めて不適切、不十分なものであつた。

(2) 被告の主張

全身状態が良好な成熟児であれば、容態に変化がない限り頻回の外来受診の必要はない。三月四日の退院時には、原告一郎の核黄疸罹患の危険性は極めて低く、家族が原告一郎の黄疸の増強の有無等を注意して観察するだけで十分であつた。

石井医師は、原告一郎の退院に当たり、原告太郎に対して、原告一郎の皮膚が黄色くなつたり、元気がない、ミルクを飲まない、吐くなどの症状があればすぐ被告病院へ連れてくるよう指示しており、原告一郎の退院時の状況からすれば右の指示について適切を欠く点はない。

(三) 交換輸血のための転院措置の遅れ等

(1) 原告らの主張

本件当時、被告病院では交換輸血を行うことができず、それを行うときは、九大病院など交換輸血ができる病院に転院させることとなつていた。

したがつて、被告病院は、三月七日に原告一郎の容態の変化を知らされた際、速やかに原告一郎を来院させ、医師の診察とビリルビン値の測定をして、できる限り早く交換輸血の行える医療機関に転院させるべきであつた。

しかし、担当医師らは、同日午前九時ころ電話で容態の変化を連絡した原告一郎の家族に対して、当日昼過ぎに原告一郎を来院させるよう指示し、これに従つて、原告太郎及び同花子は、同日午後〇時半ないし一時ころ原告一郎を被告病院の外来へ連れていつたため、その後の対処が遅れることになつた。

また、被告病院では、石井医師が原告一郎を診察し、ビリルビン値の測定を行つたところ、四三・八という極めて高い数値であつたため、この時点で石井医師は交換輸血が必要と判断したが、原告一郎が交換輸血のため九大病院に到着したのは同日午後四時過ぎであり、現実に交換輸血が開始されたのは同日午後九時過ぎになつてからであつた。

右のように原告一郎の転院及び交換輸血が遅れたのは、転院先の九大病院で、当日の午後に所属医師の結婚式が予定されていたことなどの事情によるものであるが、本件当時、被告病院と九大病院は医師派遣や研修等の関係では実質的に一体となつていたから、右転院及び交換輸血の遅れは、被告の責任の範囲内の事情によるものというべきであり、この点も債務不履行に当たる。

(2) 被告の主張

石井医師は、三月七日午前九時ころ、原告太郎から自宅への電話で原告一郎の容態の変化を知らされ、その内容は原告一郎が「少し黄色いので診てくれませんか。」というものであり、その話し方から緊急性は感じられなかつたものの、同人に対し、すぐに被告病院の外来に原告一郎を連れてくるように指示した。

その後、石井医師は、原告一郎を診察し、交換輸血が可能な九大病院の小栗医師に連絡を取り、髄液検査をするなどして転院の準備をした。九大病院では、当日が日曜日であることもあつて、交換輸血に必要な人員の確保や手術室の確保等に時間を要し(なお、担当の小栗医師は、いつたん九大病院の医師の結婚式に出席したが、それは、交換輸血の実施が直ちに行えるわけではないため式場で連絡を持つことにしたのであり、途中で退席して交換輸血の準備を行つた。)、原告一郎に対する交換輸血の実施が、平日の昼間の時間帯の場合より遅れる結果となつたが、被告病院は、現実の状況のもとで、できるだけ早く交換輸血が実施できるよう可能な手段をとつたものである。したがつて、被告病院には、原告一郎の転院及び交換輸血の実施の時期についてもその責めに帰すべき債務不履行はない。

2  損害額

原告らの主張する損害額は、原告一郎について、逸失利益三六二一万九七六三円、看護費用六四二五万三八八〇円、慰謝料二〇〇〇万円、弁護士費用一一〇〇万円の合計一億三一四七万三六四三円(請求はその一部である一億二九七〇万四六一五円)、原告太郎及び同花子について、慰謝料各一〇〇〇万円、弁護士費用各一〇〇万円の合計各一一〇〇万円である。

3  過失相殺

(一) 被告の主張

(1) 前記のとおり、石井医師は、原告一郎の退院に当たり原告太郎に対して、原告一郎の皮膚が黄色くなつたり、元気がない、ミルクを飲まない、吐くなどの症状があればすぐ被告病院へ連れてくるよう指示し、また、筑丸婦長も、原告一郎の退院に当たつて、原告花子に対して、原告一郎の黄疸がひどくなつたり、母乳を飲まなくなつたりしたら、いつでも同人を被告病院へ連れてくるよう指示していた。

(2) 原告一郎の家族は、三月六日に原告一郎の皮膚の黄染が増強していることに気づいており、原告一郎が、三月六日に被告病院の診察を受けていれば、核黄疸の発症を避けられた可能性が大きい。

(3) 右の点からすれば、原告一郎の家族は、三月六日の時点で直ちに被告病院に連絡して、原告一郎を受診させるべきであつたのに、前記のとおり、三月七日午前になつて初めて被告病院へ原告一郎の容態の変化を連絡してきたのであつて、本件については原告らにも落ち度があり、過失相殺として考慮されるべきである。

(二) 原告の主張

(1) 原告一郎の家族が原告一郎の体の黄色さが増したことに気づいたのは三月六日の夜のことであつて、その日は土曜日であり、被告病院の診療時間は午前中のみであつたので、原告一郎の体の黄色さが増したことに気づいたのが午前中でないかぎり、被告病院で診察を受けることはできなかつた。

(2) そもそも、石井医師は、退院時に、原告一郎の家族に対し、原告一郎が手足をかたくしたりミルクを飲まなくなつたらすぐに来院して受診させるように、という注意しか与えていなかつた。原告花子は、原告一郎がミルクを元気に飲んでいたので様子を見ることにしたのであり、原告一郎の家族にとつて、三月六日の時点で被告病院の診察を受けさせるべきであつたということは分かりようがなかつた。

(3) 右の点からすれば、三月六日の時点で原告一郎が被告病院の診察を受けなかつたことについて、原告一郎ないしその家族に落ち度はない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(一)(退院許可の是非等)について

1  原告一郎が、二月二四日(二生日)から高ビリルビン血症の状態となり、光線療法等が施された結果、ビリルビン値は減少したものの、三月一日までの検査結果では、まだ病的黄疸とされる総ビ値一五を上回る状態が継続していたこと及び被告病院が三月二日及び三日にミノルタ又はイクテロメーターの検査のみを行い、ビリルビン値の測定を行わないまま、同月四日に原告一郎を退院させたことは前記のとおりである。

2  右の点について、鑑定人中村肇の鑑定の結果は、三月二日以後ビリルビン値が測定されていないことにつき、「CRP陰性化があり、黄疸の原因が除去されたこと、患児の全身状態も良好、順調な体重増加があつたことから、血清ビリルビン値の再上昇は極めて稀と判断できるが、原則的には血清ビリルビン値が低下するのを確認すべきであつたと考える。」としながらも、被告病院が原告一郎を退院させたことについては、「本症例では、三月一日以後の看護記録を見るかぎりでは『皮膚の黄染』の記載はあるが、その増強を示す記載はなく、患児の全身状態良好、順調な体重増加を考えると、入院治療の継続は必ずしも必要ではなかつたと判断される。」、「患児の全身状態も良好、順調な体重増加があれば、黄疸を認めても臨床症状に基づく主治医の判断で退院許可することもあり得る。」としている。

さらに、鑑定人中村は、本件の証人尋問において、「現実の問題として、このぐらいの黄疸の値でも、このお子さんも元気で哺乳力も十分あつたという記載がありますから、そういう状態なら、我々のところでも、帰らせることもあります。ただ高いということであれば、後は外来のフォローというかつこうでやつています。ベッドにも限りがありますから、医療サイドの事情ですが、我々のところでも、入院が多い場合には、少し基準を下げるというか、早めに帰らせてしまうというケースもございますので非常に微妙な段階だと思います。」と証言し、証人石井も、原告一郎のビリルビン値がやや上昇してきているのでもう一週間は最低入院が必要と考えていた旨の証言をしている。

3  被告病院の看護記録によれば、原告一郎は、二月二四日から三月四日の退院までの間、概ね、活気があり、哺乳力が良好で、体重が出生時の三〇一八グラムから退院日の前日に三二八六グラムへと増加していたことが認められ、仮に三月四日以降も原告一郎の入院を継続するとしても、その目的はビリルビン値の測定と全身状態の経過観察であり、かつ、ビリルビン値測定の方法としては、足の踵から針ないしカミソリで切れ目を入れて、そこから血液をヘマトクリット管という管を用いて採取して行つており、原告一郎が被告病院の外来に通院することによつても行うことができるものであることが認められる。

なお、右看護記録には、原告一郎が二月二七日から三月四日の間にミルクを何度も嘔吐した旨の記載があるが、新生児の場合には、哺乳の仕方がうまくないため、空気を嚥下して嘔吐することは良くあることであり、哺乳後のミルク様の嘔吐であれば問題がなく、原告一郎の嘔吐は哺乳後のミルク様の嘔吐であつたことが認められるから、同人の嘔吐は病的なものではないと判断される。

4  以上に述べたところからすると、原告一郎について、三月四日の時点でビリルビン値の低下が十分に確認されておらず、経過観察の必要性から入院を継続させることも十分に考えられる状況ではあつたものの、入院して経過観察をするのと同程度の外来による適切な経過観察が実施されるならば、すなわち、争点1(二)(退院時の指示)について被告がその注意義務を尽くしていたといえるならば、退院を許可したことも不相当な措置とはいえず、被告病院が、三月二日以降原告一郎のビリルビン値を測定せずに三月四日に同人を退院させたことが、直ちに被告の債務不履行に該当するということはできない。

二  争点1(二)(退院時の指示の不適切)について

1  石井医師は、その証人尋問において、原告一郎の退院に当たり、病棟のカルテ記載室において、原告太郎に対して、原告一郎の皮膚の黄色みが増したり、元気がない、ミルクを飲まない、吐くなどの症状があればすぐ被告病院へ連れてくるよう述べ、外来による受診日として一週間後の日を指示した旨証言し、また、被告病院の看護婦であつた証人筑丸智津子も、原告一郎の退院に当たつて、黄疸がひどくなつたり、母乳を飲まなくなつたら、いつでも病院に連れてくるよう原告花子に指導した旨の証言をしている。

これに対して、原告太郎及び同花子は、各本人尋問において、両名が石井医師に退院のお礼を述べに行つた際、同医師から原告一郎が手足をかたくしたり、ミルクを飲まなくなつたら連れてくるようにとの趣旨を簡単に指示されただけで、黄疸の点については特に注意されてはいない旨の供述をしている。

2  退院時の指示内容が右の何れであつたかは必ずしも明らかではないが、仮に、石井医師及び筑丸看護婦が証言するような指示がされたとしても、これらの指示については、以下に述べるとおり適切さを欠く点があつたというべきである。

(一) 核黄疸は脳性麻痺という重大な後遺障害を生じる恐れがある疾病であつて、その治療方法としては、適時に交換輸血を行うことを要し、それが遅れてプラハの分類の第二期の症状が現れた後では右後遺障害が発生する可能性が高いものである。

そして、プラハの第一期症状である不活発、哺乳力低下、筋緊張低下については、核黄疸以外の疾患によつても同じ症状が現れることがあるので、核黄疸か否かの判断が困難であり、小児科医でもある程度新生児についてトレーニングを受けた者でないとできないとされていること、右の哺乳力低下、不活発、筋緊張低下という症状も相対的なもので、例えば子供によつてミルクを飲む速さは違うことなどから、瞬時に異常か否かを判断するのは非常に困難であつて、親の場合は、出産後の子供を観察する時間が長ければ長いほど異常さを早く発見できること、原告花子は、原告一郎の出産日である二月二二日から二四日までは、原告一郎に直接母乳を与えていたものの、その後退院日の三月四日までは、被告病院の指示により直接母乳を与えることは止められており、その間原告一郎は新生児室奥の保育室に入れられて、光線療法による治療などのため近づけなかつたことが認められる。

(二) 前記のとおり、原告一郎の総ビ値は、二月二五日の二三・五をピークにして一応下がつているが、二六日は一五・九、二七日は一五・八、二八日は一六・四、三月一日は一七・一と、まだ病的黄疸の数値の範囲にあつたのであるから、前述のとおり核黄疸の疾患としての重大性と初期症状の判断が困難であることに鑑みれば、退院後、早期に被告病院の外来で原告一郎を診察して、症状の変化の有無を確認するとともに、同人のビリルビン値を測定する必要があつたというべきである。

また、石井医師らがしたとする退院時の指示内容は、それ自体としては核黄疸を含む新生児の異常を早期に発見するための一般的症状をいうものであるが(鑑定の結果)、原告一郎の症状が病院へ連れてくる必要がある場合に該当するかどうかについての具体的基準が明確でなく、原告太郎及び同花子にとつては適切な判断がしにくいものである。

(三) 以上の点からすると、石井医師としては、退院に当たり、原告一郎の両親、特に直接看護に当たる母親の原告花子に対し、原告一郎の疾患の状況及び診療経緯等について十分に説明し、退院後の経過観察の必要性等を具体的かつ明確に理解させるように指導し、かつ、原告一郎の家族が症状の変化に気づかないおそれがあることを十分に考慮して、できるだけ早期の外来診察日を指定すべきであつたといえる。

具体的な診察日としては、被告病院が三月二日以降原告一郎のビリルビン値を測定していないこと、三月五日(金曜日)及び三月六日(土曜日)は被告病院の診察日であるが、三月七日(日曜日)は休診日であること、九大病院で原告一郎の交換輸血等をした医師である証人小栗良介は、自分なら一日か二日に一回は外来に来てほしいと思う旨証言し、鑑定人中村肇も、証人尋問において、自分ならば、二日か三日後の受診を指示したと思う旨証言していること及び被告病院では交換輸血ができず、これを実施するためには転院の必要があることから、なおさら早期に症状の変化の有無を確認する必要があつたことを考慮すれば、石井医師としては遅くとも三月六日を次回の診察日として指定すべきであつた。

(四) 《証拠略》によれば、原告一郎は、退院の翌日の三月五日は特に異常がなかつたが、原告太郎が、三月六日の昼過ぎに勤務先から帰宅した際に、原告一郎を見て昨日より黄色いと感じてその旨を原告花子に言い、同日午後七時ころ、原告一郎を風呂に入れた原告太郎の母親も「昨日より今日は黄色よ。」と言つたが、原告花子は、原告一郎が元気良く母乳を飲んでいたことなどから様子を見ることにしたこと、原告一郎は、翌三月七日の午前二時ころまでは元気良く母乳を飲んでいたが、午前六時ころからぐずり出して全く母乳を飲まなくなり、午前九時ころには、両手を上に挙げ、黒目が下がるという異常な症状を呈したため、家族から被告病院に連絡するに至つたこと、以上の事実が認められる。

右の事実経過からすると、三月六日の時点で原告一郎には黄疸の増強という変化が現れたものの、全身状態にそれほど顕著な悪化はなかつたのであるから、石井医師が同日における外来受診を指示し、その指示によつて原告一郎が被告病院での診察を受けていたならば、その後の核黄疸の進行によつて生じた重篤な結果を避けることができた可能性は高いと考えられる。

また、石井医師が、原告一郎の退院の際、前述したような経過観察の必要性等をより明確かつ具体的に原告花子らに説明していたとすれば、症状の変化が現れた三月六日中に被告病院に連絡し、医師の診察を受けることができた可能性も否定することができない。

これらの点で、石井医師らの原告一郎の退院時の指示は、不適切であつたといわざるを得ない。

3  被告は、原告一郎に対しては、ビリルビン値以外の黄疸の検査方法であるミノルタ又はイクテロメーターによつて黄疸の確認を退院の前日まで行つていたがその数値は上昇していなかつたこと、CRP値が陰性化して、原告一郎の黄疸の原因と思われた感染が除去されたこと、原告一郎の全身状態が良好で、順調な体重増加があつたことなど、ビリルビン値の再上昇を予測しうる資料はなかつたことから、原告一郎の退院時において、その後のビリルビン値が上昇すること及び同人が核黄疸に罹患することを予測することはできなかつた旨主張する。

しかし、鑑定人中村肇の鑑定結果によれば、ミノルタ及びイクテロメーターは、一般に新生児高ビリルビン血症のスクリーニングに用いられている検査法であり、極めて簡便に実施することができることから広く用いられているが、イクテロメーターは、同一測定値でもビリルビン値の幅が広く、病的新生児を扱う新生児専門施設では用いられておらず、また、ミノルタの原理は、イクテロメーターと同じく皮膚の黄染度を光学的に測定するものであり、イクテロメーターよりその信頼性は高いものの、光線療法をすると、血液にビリルビンが残つているのに、皮膚だけが白くなるということがあるので、光線療法を行つているときにはミノルタの誤差が大きくなることが認められる。

したがつて、原告一郎に対してミノルタやイクテロメーターによる検査を行つたことをもつてビリルビン値の測定の代わりになるものでないことはもちろん、ミノルタやイクテロメーターの測定値が上昇していないことをもつて、原告一郎の退院後のビリルビン値が上昇すること及び原告一郎が核黄疸に罹患することを予測できなかつたことの理由のひとつとすることも相当でないと解される。

また、CRP値が陰性化して、原告一郎の黄疸の原因と思われた感染が除去されたことについては、新生児の高ビリルビン血症の原因は感染ないし血液型不適合などには限られず、原因不明のものもあることは知られていたのであるから、被告病院における各種検査の結果、仮に血液型不適合が否定され、感染が除去されたと考えられたとしても、現実にビリルビン値(総ビ値)が病的黄疸とされる一五より低下したことを確認していない以上、高ビリルビン血症の原因が完全に除去されたと解することは早計であるといわざるを得ない。

4  また、被告は、感熟児では血液脳関門が生後約一週間で完成するため核黄疸は生後一週間以内の病気と考えられているところ、原告一郎は成熟児で退院時一〇生日に達していたことを、原告一郎のビリルビン値が再上昇することを予測し得ない理由のひとつとして主張しており、証人石井栄一もそれに沿う証言をしている。

しかし、文献には、成熟児であれば一〇ないし一四日でほぼ血液脳関門が完成する旨の記載があり、その著者である小栗医師は、証人尋問で、成熟児では血液脳関門が遅くとも生後二週間までに完成すること、核黄疸が起きる危険な時期としても生後二週間までであることなどを証言していることからすると、原告一郎が三月四日の退院時に一〇生日に達していたからといつて、それを退院後の核黄疸の発症を予測し得ないことの理由とすることは相当ではない。

5  結局、被告病院としては、原告一郎に核黄疸に罹患する危険があり、その第一期症状を過ぎると不可逆的な変化が生じて、交換輸血等の治療をしても回復不可能な後遺障害(脳性麻痺)が生じるおそれがあつたのであるから、原告一郎を退院させるに当たり、担当医師が、核黄疸の第一期症状の有無を調べ、右症状があれば早期に発見して、交換輸血の時期を失しないようにするため、原告一郎に対する経過観察等について適切な説明を原告花子らにするとともに、遅くとも三月六日の来院を指示して原告一郎を診察すべき義務があつたのに、これを怠つた結果、原告一郎に重篤な後遺障害を残すに至らせたものであり、争点1(三)について判断するまでもなく、被告病院にはその責めに帰すべき債務不履行があつたということができる。

三  争点2(損害額)について

1  原告一郎の損害

(一) 逸失利益二八六五万一八六二円

前記のとおり、原告一郎は、脳性麻痺のため痙直性四肢麻痺を生じ、自動運動は不可能であり、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。そこで、昭和五七年の賃金センサス第一巻第一表中、産業計・企業規模計・男子労働者の平均年収三七九万五二〇〇円を基礎に、就労可能期間を一八歳から六七歳までの四九年間とし、ライプニッツ係数により中間利息の控除をして原告一郎の逸失利益を算定すると、次のとおり二八六五万一八六二円となる。

3、795、200×(19・2390-11・6895)=28、651、862

(二) 介護費用三五五一万三〇四〇円

原告一郎は、痙直性四肢麻痺により自動運動は不可能で日常生活に全面介助を要する状態であり、その介護は今後ともその近親者によりなされるものと認められる。そして、一日当たりの介護費用は五〇〇〇円と認めるのが相当であり、原告一郎の出生当時の男子零歳児の平均余命は七四年余り(昭和五七年簡易生命表による平均余命は七四・二二年)であるから、ライプニッツ係数により中間利息を控除して原告一郎の七四年間の介護費用を算定すると、次のとおり三五五一万三〇四〇円となる。

5、000×365×19・4592=35、513、040

(三) 慰謝料二〇〇〇万円

原告一郎は、本件損害発生後現在まで寝たきりで日常生活に全面介助を要する状態にあること、その他本件に現れた一切の事情を勘案すると、その精神的損害に対する慰謝料としては二〇〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用八〇〇万円

本件において被告の債務不履行による損害として被告に負担させるべき弁護士費用としては、八〇〇万円が相当である。

(五) 以上合計九二一六万四九〇二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六四年一月五日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金が、原告一郎の損害と認められる。

2 原告太郎及び同花子の損害について

右原告らは、毎日原告一郎の介護に努め、原告一郎の将来を考え不安と焦燥の日々を送つているとして、精神的苦痛に対する慰謝料各一〇〇〇万円及び弁護士費用各一〇〇万円の支払を求めているが、前記認定の診療契約とは別個に、原告太郎及び同花子と被告との間に診療契約が締結されたとは認められないから、右原告らは被告に対し債務不履行による損害賠償を求めることはできず、また、原告一郎と被告との間の診療契約の債務不履行に関して、原告太郎及び同花子が被告に対し固有の損害賠償を求めうるとする根拠も明らかでないから、右原告らの請求は理由がない。

四  争点3(過失相殺)について

被告は、原告一郎の退院に当たり、被告病院が、原告太郎ないし原告花子に対して、原告一郎の皮膚が黄色くなつたり、元気がない、ミルクを飲まない、吐くなどの症状があればすぐ被告病院へ連れてくるよう指示し、三月六日、原告一郎にその症状が現れたにもかかわらず、原告太郎、同花子らが直ちに原告一郎を被告病院に受診させなかつたことに落ち度がある旨主張する。

この点について、三月六日における原告一郎の状態の概要は既に認定したとおりであるが、原告花子作成の育児帳によれば、三月六日土曜日の欄に、「少し黄疸が強くなつたような気がするが、おつぱいを元気に飲んでくれるので様子を見る。お風呂に入る時おばあちやんが体の色がきのうより黄色見たいと言う。でも上つた後おなかがすいてたらしく元気になつておつぱいをよく飲み気持ちよさそうに眠る(PM一〇ごろはく)」の記載があり、同日に原告一郎の黄疸が前日よりやや強くなつてはいたものの、原告花子は、原告一郎が母乳を元気に飲んでいたことなどから、とりあえず様子を見ることにして、同日に被告病院に受診させることをしなかつたものと認められる。

ところで、原告一郎の退院の際の、被告病院の原告太郎ないし原告花子に対する指示内容については、前述のとおり当事者間に争いがあるが、仮にその指示内容が被告の主張のとおり、原告一郎の皮膚が黄色くなつたり、元気がない、ミルクを飲まない、吐くなどの症状があればすぐ被告病院へ連れてくるようにというものであつたとしても、その各症状の変化の程度については指示が必ずしも明確でない上、既に述べたように、被告病院の担当医師らの原告一郎に対する経過観察の必要性等についての説明も十分なものとはいえないものであつた。

したがつて、原告一郎の様子が右のとおりであつたとすると、それが直ちに医師に診察を受けさせなければならない程度の変化であるか否かの判断は必ずしも容易でないと考えられ、三月七日未明の時点まで原告一郎が母乳を元気に飲み、全身状態に顕著な変化が生じていなかつたとみられることなども考慮すると、三月六日の時点で直ちに被告病院に受診させるべきであつたとすることは、原告花子らにとつて酷であり、これを原告側の落ち度として、過失相殺の対象とすることはできない。

五  よつて、原告らの請求は右の限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺尾 洋 裁判官 長谷川浩二 裁判官 河村隆司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例